雑記帳 第三十版

思想・所感

エヴァとヱヴァ

新作公開に備えてヱヴァQを観た。8年前に劇場で観た以来なので1割程度しか内容は覚えていなかった。TVシリーズと旧劇は3回は通しで見ている。新劇は序と破は2回くらい観たけどQは1回しか観ていなかった。

レビューなんか見ると散々なこと書かれているが、個人的にはもう否定も肯定も無い。ただ、庵野監督が生み出すものを受け取るだけである。
Qは意味がわからないと言っている人は正直、勉強不足だと思う。細かい部分までは把握していないが大筋は理解できる。実は大局はシンプルだと思う。新劇は演出的にもかなり分かりやすく作られているように感じる。

たぶん、監督自身は人類補完計画が現実に起きたらいいなと心のどこかで願っている部分がある(あった)のだと思う。
この人類補完計画はある意味理想で衝突の無い世界の構築で、現実世界の否定と捉えられる。きっと人間の敵は人間な世界に嫌気が差して、ならばアニメの世界で一つエンタメに昇華した上で、問いかけてやろう・主張してやろうという魂胆なのだ。

ただ生きている以上、いま生きている世界を否定して拒絶することはできない。受け入れていつか迎える終わりの日まで歩いていかなければいけない。つまり、人類補完計画はこの現実世界で叶うことは無いのである。エヴァの全ての登場人物はどこかしらに監督の意志を受け継いでいる。結局、旧劇では、世界の命運を握っていた碇シンジの手によってサードインパクトによる人類補完計画が成し遂げられることは無かった。オタクに対するアンチテーゼの意も込められているので(庵野監督自身はかなりのオタクなのだが)、「てめえらはこんな気持ち悪いアニメに夢中になってないで現実世界でもっとしっかり生きろよ」というパンキッシュ精神に溢れた作品とも言えるだろう。


新劇は新劇として別物の新しいエンタメとして捉えているのだが、着地点をどのように持ってくるのかそれが非常に楽しみである。ただ、あまり期待はしていないのだが。期待を持ちすぎるとよくない評価に繋がってしまう。
Qではフォースインパクトは阻止された。新作ではファイナルインパクトが何らかの手段で引き起こされるのだろう。そこに碇シンジがどう絡むのか。恐らくセカイ系の軸はブレないのでシンジが鍵の一つになることは間違いない。

庵野監督がやりたいことの一つが宇宙戦艦・戦闘・メカとかは容易に想像がつき、そこに精神世界や精緻な心理描写、旧約聖書から用語を引用してきて、舞台を世界全体に広げて面白おかしくエンターテイメントとして構築していったのがエヴァであり、それがこの作品の大きな魅力と唯一無二の地位を確立しているのであろう。新劇では旧TVシリーズや旧劇場版ほど、精神的に重くならない作りになっている。シンジくんは相変わらず14歳らしいガキなのだが。ライトでポップな作品になっているのである。

エンタメとして視聴者が納得できる結末を用意した上で、この世界に何か新しくメッセージを投げかけるのだろうか。私はそうは思わない。
そもそも、監督の中では旧劇までで一応一区切り付いているのだが、きっと、技術的にもデジタルに移行したし、演出的にまだやりたいことがあって、その上で文句が生まれにくいケチがつけられない終わりを描き集大成として迎えたいという気持ちがあるから新しく作ろうという気になったのではないだろうか。当たり前だがアニメ作品もあくまでもビジネスの一つでもある。利益をあげなければいけない。エヴァは必ず利益が見込めるドル箱案件でもある。はじめから勝ちが確約されたような作品だ。その上で新劇を作ったのも一つ経済的な意味があるのかもしれない。

これはなんとなくの予想だが新作はエンタメとして綺麗に終わらせる可能性がかなり高いと予測している。つまりは、ただの娯楽作品として打ち出すのではないだろうか。実際、破からQは新しい軸に持っていったがかなり分かりやすく視聴者に対して現象の説明をしている。対立構造やキャラ関係もはっきりしている。

一つの結末は人類補完計画がファイナルインパクトで達成される場合。
もう一つの結末は人類補完計画が達成されない場合。どちらにしても綺麗な終わりを迎えるのだろう。

ただ、エンタメに徹した場合、旧エヴァが好きな人が好意的な評価するかは分からない所に結果が落ち着く。どんな作品も否定的な評価は生まれてくるのだが、果たしてどうなるのか。

散々な低評価レビューをあちこちに書かれて、庵野監督が精神的に落ち込まないことを祈るばかりだ。この懸念に関しては杞憂で終わってほしい。