雑記帳 第三十版

思想・所感

脱線 / 予防

困難から逃れる一番楽な選択は死んでしまうことだ。
あまりこの世界に未練は無い。人生の喜びはたかがしれているように感じる。幸か不幸かそこまでの人間関係は築き上げてはいない。たとえ亡くなったとしても一年後にはきっと多くの人の頭の中から忘れ去られているだろう。流石に家族や親戚は覚えているかもしれないが。
今は半分鬱病みたいな状態だ。まだ仕事ができている時点で鬱病ではない。ただし、あと二・三発パンチを貰ったら倒れてもおかしくないだろう。そうなってしまったら万事休すだ。人生のレールは脱線仕掛けている。半分は外的要因、半分は内的要因だ。つまり、電車の運転に例えれば、自然災害に巻き込まれて、電車の運転士である自分が対処をミスってしまったというようなものだ。このような分析ができている時点でまだ冷静さがこの頭の中には保たれているようである。

人生でレールを脱線する理由は大括りでみればそんなに数は多くない。人間の悩みは大抵相場が決まっている。お金か人間関係か健康か、この3大要因どれかに当てはまることが多いだろう。今の自分は端的に言えば金銭トラブルを抱えている。この精神的ダメージは結構なものがある。ともかく、頼れる人は近くにはいないので、なんとか突破口を見つけて切り抜けなければならない。
神様は越えられない試練は与えないとか言うが、これまでの人生を振り返っても、もう懲り懲りである。私が歩んでいるような苦痛の伴う人生を繰り返さない為には、子孫は残さないという意思を固く持ち続けるしかない。この世で受ける苦しみを経験せずに済むならその方がいい。他の人間に私のような思いはしてほしくない。そんなに辛い思いまでして生きなければならないならはじめから生まれない方が確実だ。

既に生き地獄に足を踏み入れた。この先、逃げ場は無い。いや、ここは元から地獄だったのかもしれない。ただひたすらに娯楽に甘んじて目を背けていただけなのかもしれない。
恐ろしいのは自分よりも辛いであろう立場の人がこの世にはごまんといることだ。ある立場の人から見れば、そんな理由で苦悩しているなんて羨ましいと思うかもしれない。
「あんたの苦しみなんて大したことないわよ」と馬鹿にされるかもしれない。
だが、これは苦悩には違いないのだ。